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今も使われ続ける「薩摩〜」という言葉
古くは、熊襲(くまそ)の地、隼人の地と呼ばれ、薩摩の国という名称が使われるようになったのは709年のことです。以来、「薩摩」という名称は鹿児島県に変わってからも、広く親しまれ、現在も薩摩と付く言葉は多くあります。鹿児島県人の男女は薩摩隼人・薩摩おごじょと言いますし、さつま揚げ、さつまいも、さつま汁、薩摩焼酎という名産もあります。
さて、薩摩といえば島津氏というように、切っても切れない関係ですが、薩摩の守護職にあった島津氏が実際に居住するようになったのは1341年とされています。その後、関ヶ原の戦いでは西軍について負けたにもかかわらず、国替も行われず、有力な外様大名としての地位を維持しました。
幕末、維新には島津斉彬、西郷隆盛、大久保利通、黒田清隆、東郷平八郎、山本権兵衛など、そうそうたる人材を輩出しています。人気No.1は鹿児島のシンボルとも言える西郷隆盛のようで、城山を背景に高さ8メートルもの立派な像も立っています。
鹿児島のもう一つのシンボルといわれている桜島は、今も噴煙を吹き上げて灰を降らせている世界的な火山。北岳、中岳、南岳の3つの火山からなる複合火山です。火山があれば温泉があります。日本で唯一の天然砂蒸し温泉の指宿(いぶすき)温泉、大小8つの温泉からなり、様々な泉質を楽しめる霧島温泉など、温泉地が多くあります。 |

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いちき串木野市は、旧串木野市と旧市来町が2005年に合併してできた新しい市です。当初、新しい市の名前は「れいめい市」と決まったのです。薩摩藩留学生が羽島から渡欧し、初代文部大臣、初代東大の校長、サッポロビール創始者を輩出し、近代日本黎明の地と呼ばれていたことから名付けられたのですが、市民からの反対があって変更され、「いちき串木野市」に落ち着いたという経緯があります。
いちき串木野市は、県西部、東シナ海に面し、日本三大砂丘の一つ吹上浜の北に位置しています。薩摩藩留学生渡欧の地の他に、本格焼酎と金山の歴史資料館と焼酎風呂がある「薩摩金山蔵」などが有名です。
また、古くから、金山とまぐろの町として知られていましたが、金山は閉じられ、まぐろも運送費の高騰もあって、大消費地である東京により近い静岡の焼津港、清水港に水揚げ先が移されるなど、町はしだいに活気を失いつつありました。そこで、町の観光協会は、町おこしとして身体に優しく、栄養価の高いまぐろを使った名物料理の開発を飲食業組合に要請し、その結果、「まぐろラーメン」が開発され、大ブームを起こすことに成功したのです。
串木野の匠のこだわり

串木野に活気を取り戻そうと観光協会より依頼をうけ立ち上がったのが、飲食業組合の副会長だった勘場さん(有限会社みその社長)を始めとした開発チーム。母親の食堂を継ぐ前は、まぐろ船に乗り込んでいたという勘場さんは、まぐろへの思いは人一倍のものがあり、まさに打ってつけの人物。しかし、大きな課題もありました。まず、スープから魚特有の生臭さをどう取り除くかということです。多くの試行錯誤を繰り返しながら見事にクリア。
もう一つ、気になることがありました。当時、地元で主流だったラーメンは豚骨系。まぐろを使ったラーメンとなる和風味と正反対のものになるため、地元のお客様に受け入れらえるかが気掛かりだったのです。しかし折からの健康志向のブーム、ラーメンブームに乗って、雑誌、新聞、テレビなどにも取り上げられ、「串木野のまぐろラーメン」は町おこしの起爆剤となりました。
まぐろへの思いが人一倍強い匠だったからこそ完成した「まぐろラーメン」。ぜひ、ご賞味ください。
まぐろの効用
・肝臓の働きを助ける
・動脈硬化を防ぐ
・心筋梗塞、脳梗塞を防ぐ
・貧血を防止する
・子供の栄養代謝を助ける …など |

みその勘場社長


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